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2014.12.01

ルーブリック評価

最近大学教育においてもルーブリック評価が取り入れられるようになってきました。その大きな理由は、主観的な評価に陥りがちなパフォーマンス(レポートやプレゼンテーション)を客観的に評価するためです。ルーブリックは評価項目(評価観点)と文章で表現されたレベルから成っています。それぞれの評価項目に対して評価対象のパフォーマンスがどのレベルに当てはまるかを見ていくことで評価します。

ルーブリックは「成績評価のためのルーブリック」と「長期的ルーブリック」との大きく二つに分けることができます。前者はその名の通り成績評価をするために用いるルーブリックです。後者は、学生の行動を広く評価するもので、長期間にわたって行動をレベル付けするために用いられます。例を挙げると、前者が個別の授業で用いるのに対し、後者はディプロマポリシーの到達度を評価するために用いるという感じでしょうか。

ルーブリック評価のメリットの一つは先に述べた「客観性」を担保できる点です。文章で記述された各評価項目のどのレベルにそのパフォーマンスが当てはまるかを見ることで評価するので、「基本的には」誰が評価しても同じような評価になることになります。また同じ人が別のパフォーマンスを評価する場合でも「基本的には」統一の基準で評価できることになります。

もう一つのメリットは、学生が目標を理解しながらパフォーマンス課題に取り組めるという点です。レポートやプレゼンテーションなどに取り組む際に、学生はそもそも何を目指せばよいかが理解できていない場合があります。しかしルーブリックで評価基準を事前に提示すれば学生はその評価基準にそって課題に取り組むことができます。この点でルーブリックは学生と教員との「共通言語」であると言えるでしょう。ルーブリック評価で高得点をとることを目指すこと自体が、よいパフォーマンスを生むことにつながるわけです。そのためにもルーブリックは事前に学生に提示しておく必要があります。

この後者のメリットに関してポイントとなるのは「学生がルーブリックを理解する」という点です。あまりに当たり前すぎるのですが例えばそのルーブリックが外国語で記載されていれば学生は理解できないでしょう。では日本語で書かれていれば十分でしょうか?その場合でも抽象的な表現が用いられていたり、長い表現で記述されていれば学生は十分に理解できないという可能性は十分にあります(そもそも面倒くさくて読まないとか)。そうすると後者のメリットは実現されないことになります。こうしたことを防ぐためにもルーブリックで用いる記述は具体的で簡潔であることが望まれます。また、学生と共にルーブリックを作ることでもそうしたことが防げるかもしれません。評価の観点はこちらで示したほうがよいかもしれませんが、学生自身がルーブリックを作る作業に加わることで「学生がルーブリックを理解する」ということが担保されると言えるかもしれません。

一方、ルーブリック評価のデメリットはパフォーマンスという「全体」が評価項目という「部分」に還元できるかどうかという点です。各項目は高得点であるが全体としてはどうもぱっとしない、というケースはあり得るでしょう。これに関しては、ルーブリックの評価項目は常に「改善途上」にあるため、そのようなケースに出会った場合は何がどのような点が評価できていないかを検討し改善する必要があるというように考えることはできるでしょう。しかしながら先に述べたようにルーブリックはできるだけ簡潔であることが望まれることからルーブリック評価によって全体を適切に評価することはやはり難しいのかもしれません。

さらに別の問題もあります。事前に示された基準によって評価するということ自体が学生の「主体性」や「自律」といったものを奪っているのかもしれないという点です。特に「自律」ということは「自分で自分を評価し律する」ということが求められるわけですが、その際の評価基準は自分自身で見いだす必要があるでしょう。そうすると「事前に与えられた評価基準」というのはそうした自律性を奪うことになりかねません。また同じことかもしれませんがルーブリックによって自律しているかどうかを評価することはできないでしょう。

こうした問題点があるものの、教員が主観的に、あるいは適当に評価するのよりはルーブリックによって評価するほうが望ましいと言えるでしょう。

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