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2017.05.22

長期的ルーブリックとしての卒論ルーブリック

現在ではルーブリックは各授業でのパフォーマンス課題の評価だけでなく、
4年間の大学での学びを評価する基準としても用いられている。
それは「長期的ルーブリック」とも呼ばれるもので、
大学のディプロマポリシーで求められる能力にレベルをつけて表にしたものである。
たとえば

http://www.kuins.ac.jp/about/target/benchmark.html

のページ下の「2014年モデル 第1版」がそうである。

ディプロマポリシーは複数の能力から構成されていることが一般的で、
それぞれの能力ごとに成長度合いを評価するということはおかしなことではない。
また、一つの能力は、さらに別の能力から構成されていることも多いので、
さらに細かく分解することも可能である。
先ほど挙げた事例でも、大項目から中項目に要素分解されている。

こうしたルーブリックをみて気になるのは、実際にどのような場面で活用できるかである。
たとえば、教員が学生をこのルーブリックに基づいて評価できるだろうか。
また、学生がこのルーブリックを参考にして学びの指針にすることができるだろうか。
あるいは、カリキュラムを設計するときや、
カリキュラム上での各授業の役割分担を明確にするためになら活用できるだろうか。

やはり、こうした能力ベースのルーブリックは、正確さを求めるがあまり、
細分化していく傾向にあり、それにより、
実際の学生の置かれている文脈からかけ離れていってしまっているのではないだろうか。
実際の学生のパフォーマンスは特定の文脈における行為であるため、
複数の能力が合わさって発揮される。
逆に言うと、そうした複合的な能力が意味をなす文脈から離れて、
個別の能力だけを問うことは、学生の学びの指針の観点(形成的な観点)からも、
教員による評価の観点からもかけ離れてしまうのではないだろうか。

そこで、長期的ルーブリックであっても、現実的な文脈のもとで考えることが重要であろう。
つまり、Aができているなら、能力b、能力c、能力dを持っていると言える、
というようなパフォーマンスAがあるなら、
能力b、能力c、能力dの評価基準としてAについて考えればよいのである。
もちろん、能力b、能力c、能力dが発揮されるのはAの発露だけではない
ということは考えられるが、大学という文脈で考えた場合、
学生に求められるパフォーマンスの種類は限られているというのが自分の考えである。

その限られたパフォーマンスとして挙げられるのが卒業論文である。
卒業論文は、(必須ではないところがあるものの)大学での学びの集大成であると言えよう。
であるなら、その卒業論文のクオリティが高まるような
長期的ルーブリックが考えられないだろうか。
もし、そうしたものができれば、各授業でのレポート課題との接続も容易になり、
科目間の連携や役割分担も明確になるのではないだろうか。

たとえば、卒論ルーブリックとして次のようなものが考えられないだろうか。

卒論ルーブリック

それぞれの観点とレベルは、学生が行動指針として次の一手が見えやすいものとした。
また、現実的な文脈を前提とした上で、学生がつまずきやすいポイントにしたつもりである。

たったこれだけでも、長期的ルーブリックとして活用することで、
卒業論文のクオリティは高まり、結果としてディプロマポリシーで求められるような
様々な能力(いわゆるジェネリックスキルも含む)も高まるのではないか
と考えているのだがどうだろうか。

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