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2017.05.30

つまずきから考える授業設計

この前の記事で、ルーブリックのよしあしの基準は
「つまずきをうまく記述できているか」どうかであると書いた。
この「つまずき」という観点はさらに多くのことを説明できるのではないかと考えている。
(以下の議論は初等では当然のことと考えられているかもしれないが)

近年、大学ではアクティブラーニングが取り入れられている。
ディスカッションやプレゼンテーションなどの「外化」された活動を求めることで、
知識の定着を求めたり、あるいはジェネリックスキルの育成を目指すものである。
こうしたアクティブラーニングは現在多くの授業で取り入れられるようになってきている。
しかし、グループディスカッションを取り入れても、表面的な議論で終わってしまい、
深い議論にまで至らない、というような問題も指摘されている。
そこで深い思考を求めるようなアクティブラーニングが重要である、
という議論が行なわれている。
学生の議論が浅いものなので深くなるように工夫しよう、
というのはもちろん変な話ではない。
しかし、少なくとも言えるのは「浅いか深いか」というのは、
学生にとっては学びの指針となり得るような基準ではない、ということである。
さらに問題なのは「浅くなり得る」という点である。

『学生を思考にいざなうレポート課題』でも書いたが、
レポート論題で「~について論ぜよ」という論題がまずいのは、
その論題においては失敗があり得ないからだ(本の中ではそのような表現はしていないが)。
つまり、つまずきようがないのである。
つまずいていないのであれば、それ以上の改善を求めることは難しいであろう。
つまずきに関しては、学生が自分自身で「あ、失敗した」とか
「うまくいかなかったな」というように、内在的につまずきについて理解する場合と、
「きみのここの部分はおかしいよ」と他者から指摘される外在的な理解の二つがありうる。
ピアレビューは後者を促すという意味で有効だろう。
もちろん、後者が必ずしも前者を生み出すわけではない。
最終的には学生が内在的につまずきを理解しなければ学びにはつながらない。

さて、アクティブラーニングの文脈で言うと、
「外化は設計されているがつまずきは設計されていない」という授業は
多いのではないだろうか。
たとえば、先ほどの論題同様「~について話し合ってください」というお題であれば、
つまずきようがないだろう。
学生の議論が浅くなるのは、何も学生の学習意欲の問題ではないのである。

その意味で言うといわゆる「真正の文脈」においては、
つまずきを組み込みやすいと言えるだろう。
真正の文脈では、パフォーマンスの宛先が設定されていることが多く、
その宛先の評価は、容易に内在化されやすいからである。
またそれゆえパフォーマンスのよしあしについて学生自身が評価しやすくなっている。

さて、ではグループワークではどのようなつまずきが考えられるか。
自分が経験した範囲ではあるが、グループで何かについて議論をして発表をする、
というような授業の場合、もっともよくあるのは「箇条書き」
あるいは「寄せ集め」のようなプレゼンである。
これは、それぞれのメンバーの意見を足し合わせただけであり、議論になっていない。
であるなら、「箇条書きになっている」というのは、
つまずきの一つとして提示すべきではないだろうか。
もちろんルーブリックで提示してもよい。
箇条書きが禁じられると、自然とそれぞれの意見を構造化する以外にない(はずである)。
この場合の構造化にはおそらく二種類あって、
「それぞれの項目の関係を示す」か、「何が最も重要かを示す」の二種類だと思う。
この二種類の構造化のパターンについては事前に説明する必要はない。
「箇条書きはダメ」という一手を封じさえすれば、自然と行き着くはずである。
もちろん、プレゼンが終わった後で、
そうした二種類の構造化があることを説明することには大きな意義があるだろう。

これまでの議論では、つまずきはお題とは別に提示できるものだ、という前提があった。
そうではなく、お題の中につまずきが含まれているようなものもある。
『学生を思考にいざなうレポート課題』の中で提示した「論述型」論題はまさにそれである。
論述型論題とは、具体的で単一のことを求めるような論題のことで、
「具体例を提示して説明せよ」などがそうである。
この論題の場合、「具体例を示せているかどうか」という点が
明確なつまずきの基準となっており、その基準は学生にも理解可能である。
デメリットは、それほど深い議論にならないという点である。
こうしたことから考えると、もちろん状況にもよるが、
論述型のようなお題の中につまずきの基準が含まれているようなものよりも、
お題はオープンなもので、つまずきの基準を示す方が、
グループワークに適している、と言えるかもしれない。
つまずきを示すことは重要であるが、やはりオープンな問題を設定することで
議論を生み出す余白を設定することが重要であると言えよう。

以上のことをまとめるとこうなる。
アクティブラーニング型授業(特にグループワーク)を設計する際にもっとも重要なのは
何がつまずきか(あるいは失敗か)を事前に設定することである。
本来であれば、「外化」をする「目的」が明確であれば、
その目的に照らしてつまずきははっきりとしてくるはずである。
しかし、授業という人工的な文脈ではどうしても目的も人工的になりがちであり
目的に照らしてつまずきを理解しにくい状況は考えられる。
そうであるなら、せめて何がつまずきになるのかだけでも
明確に提示する必要があるのではないだろうか。

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