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2017.04.29

ルーブリックの仮説性について

ルーブリックはこれまでも作ってきたし、現在も作ろうとしているし、前から関心があったので色々と考えてきた。
今考えていることをちょっとまとめておこうと思う。

何年か前に松下先生の講演を聞きに行ったときに「メタルーブリックは改訂されることはあるのですか?」と講演後に質問にいった。
そのときの返答は「メタルーブリックが改訂されることはまずない」という返答だったと記憶している。
その返答自体は何もおかしなことはない。
しかし、そのときから少し違和感のようなものを感じていた。

ルーブリックに関しては、初等では以前から取り入れられていたようだが、大学でも現在は広く取り入れられるようになってきた。
とはいえ、活用している教員みんなが「うまくいっている」という状態ではないのは確かであろう。
ルーブリックには、個別のパフォーマンス課題を評価するレベルから、学生の長期の成長を評価するための長期的ルーブリックまで様々なレベルのものがある。
そうしたレベルについては脇において、現時点で取り入れられているルーブリックのほとんどについて、それらがよいルーブリックなのかよくないルーブリックなのか、はっきりしないと思われる。
つまり、現状の多くのルーブリックは「仮説的」なものであると言えるだろう。
(このことは仮説的ではない、絶対的にうまくいくルーブリックの存在を否定しない)

そうであるなら、そのルーブリックがよいルーブリックなのかよくないルーブリックなのか「テスト」されないといけないだろう。
科学理論の場合、単純化して説明すると、そのテストは、仮説から導き出される予測と世界が一致しているかどうかで仮説としての理論をテストする。
では、ルーブリックの場合はどうか。

ルーブリックを教員が総括的評価に用いる場合、矢印(?)は教員から学生の方に一方通行に伸びているだけのような気がする。
しかし、「学生の学び」や「評価」を通して、ルーブリックもテスト(評価)されないといけないだろう。
では、どのようなエビデンスによってルーブリックはテストされるべきだろうか。

ルーブリックをテストするエビデンスは、そのルーブリックを用いた評価活動を通してうまれるものによってテストされるのがコストがかからなくて便利だ。
別途学生や教員にルーブリックの使い勝手に関するアンケートをするとでルーブリックのよしあしについて評価することもできそうであるが、それはそもそも「テスト」ではないように思うので、テストであるからには、やはりその仮説から生み出されたもの(科学理論の場合であれば「予測」)によって評価されるべきなのであろう。

ここで一つの疑問がある。
ルーブリック自体のテストに用いることができるエビデンスは、ルーブリックで評価する場合には必ず生じているものなのだろうか。
生じているものの、利用している教員がテストしていないだけなのか、あるいは、ルーブリックの構造(観点の設定の仕方や記述の仕方)によって、生じる場合があったり、生じない場合があったりするのだろうか。

現時点ではなんとなく後者のような気がしているが、あまりはっきりとした根拠は提示できない。

今日はここまで。

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